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Chiropractic  健康はカイロプラクティックとともに 

Chiropractic 健康はカイロプラクティックとともに 

▼地獄界の救済

予防医学のカイロプラクティック
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考える事は哲学だよ 何でも考えてみよう 独断と偏見のコーナーです 

地 獄 の 救 済


ただ私は この肉体の中に 住まわせていただいている。


この時代の中に生まれ、 両親の元で産んでいただき、 この時代の影響を諸(もろ)に受け、この人生を生き続けている。
しかし本当に これが私なのだろうか?

この肉体に住まわせていただいている私は 私だが、 この肉体が 私なのだろうか? いいや、 この肉体は、 今回だけのもの。

永遠の魂の道程(みちのり) の中の、 一回だけの衣。 次の人生でも、 私の名前は変わる。

しかし本来の私は、 全く変わることは無い。

ただ変わるのは、 その時々の、 肉体について呼ばれる、 その時の固有名詞のみ。 固有名詞とは、 その肉体を識別、 判別するために必要な、 その肉体に付く名前のこと。

自分の名前を呼ぶのは、 この時代で生まれさせていただき、 そして生かされ続けてきた結果、 この肉体に付いた 名前を呼ばれるから。 そして私は、 この肉体を自分だと思って、 自覚して、 自分の姿を見て、 自分だと思っている。

しかし、 鏡に映し出される自分。  人の目を通して その人の心の中に映し出されている自分。  水に反射されて、 自分の姿を見て感じる自分。   色々な自分の姿があるけれど、 そのどれもが、 本来の自分の姿であるということではない。

本来の自分は、 その肉体の中に隠れ、 潜在意識のように、 その中心に居座っている、 そして、 その肉体を確実に動かしている、 そのエネルギー。

人は そのエネルギーを 心 と表現する。 そのエネルギーこそを、 自分だと表明する。


この世界は 三次元の世界だと言う。
縦、 横、 高さ。 
この三つの座標軸が 存在している、 立体的な世界を指す。
この立体で、 人は 生き続けている。
しかし、 この立体が、 全てではなかった。
それ以上の次元が存在していることを、 一部の人間のみが、 理解している。
それ以外の多くの、 圧倒的多数が、 三次元世界のみを理解している。


人の肉体は、 全て細胞からなる組織で、 構成されている。
その一つ一つの細胞は、 全てこの自然の摂理に従って、 その摂理の通りに動いている。

しかし人は この肉体の生理機能に支配され、 この肉体に起こる 諸機能の在り方に支配され、 それがさも自分の体だと感じるために、 その感覚に支配されるため、 この肉体こそが、 自分以外には無いと、 錯覚をしていることに 気が付いていない。

だが実際は、 この肉体を支配しているのは、 己の心、 己の意識しかないのだ。

己の意識が、 想うとおりに動いて 実践出来るようにするために、 この肉体は、 幼い時から訓練をして、 自分が自分であるかのように動かす練習を重ね、 自分の思い通りに 生きれるように、 この肉体を 訓練してきただけのこと。

人の体には、 神経経路が存在し、 脳を中心に脊髄を通じ、 神経があらゆる組織に行き届き、 脳からの 神経伝達 を行わせている。

脊髄神経は、 脳からの信号を 末端まで通じるように、 神経細胞や神経繊維で構成された方法で、 脳からの刺激を伝達している。

ゆえに人は、 自分の存在を、 脳の中に、 脳そのものに 自分の心を植えつけている。
そう理解しないと、 理解できないからである。 心は 脳の中に存在している、 その様に訴えている。

しかし現実は、 全く違っている。


脳は、 ただある生理機能を 果たしている道具にしか過ぎない。
それは、 生きた、 受信発信装置 の役割でしかない。
そしてその主体は、 である。

心の発信するエネルギーを、 この脳は、 受信をし、
そして神経伝達を介して、 自分を表現しているだけにしか過ぎない。

すなわち、 心こそが、 この体を動かしている 張本人である。

その心こそが 自分であり、 その人間肉体の動きを 規制するものである。


この肉体は、 本人の に 支配される。
その支配は、 そう在り続けれるのが、 理想である。

しかし人は、 その自分の肉体を、 別の心に支配させてしまうこともある。

憑依とは、 それを差す。
憑依とは、 殆どの人が 悪霊 に支配されることを言うだろうが、 そればかりではない。
天上界、 天国の人が その人の心を導くために、 一時 憑依することもある。

しかし概(おおむ)ね、 前者の場合が多いのが現実だろう。

なぜその様なことが起こるのか?
それは その肉体を支配しなければならないその魂、 心が、 自分の肉体を支配できなくなったがためである。

あくまで その肉体を支配している本人の心に、 支配は依存している。

確かに その肉体がある限り、 その肉体を支配しているのは、 その本人の心である。

しかしながら、 その本人の心が、 そして、 その本人が出す心の周波数が、 どの様な心の周波数(波動)であるかによって、 それは決定される。

現在では 次に言うことが簡単に理解することが出来るだろう。

私達のは、 ラジオと同じで、 好きな放送局の電波を 受信することが出来る器械と同じであると言うことだ。

と言うことは、 ラジオ局が、 FMであれ、 AMであれ、 短波であれ、その放送局の周波数に対して、 自分がその器械のチューニング( 選局 )をしないと、 決してその放送局の放送を聞くことが出来ないのと同じ理屈だ。

私達の心も、 シッカリとその放送局を選ぶ 必要があると言うことだ。

なぜならば、 あの世には、 天国もあれば地獄も 実際に存在している。 そして その全てから、 周波数が出ているのだ。

あらゆる段階から、 周波数が出ているからだ。

と言うことは、 あらゆる段階の、 放送局があり、 その放送局から 電波が流れているということを意味している。


私達の脳は 受信機 である。

そして意思を発信できる 送信機 でもある。


そのあらゆる放送局から流れているエネルギーを、 私達は、 その意識があろうと無かろうと、 常に受信している存在であると言うことだ。
しかしながら人は、 その事実に気が付かない。

良くない意味の憑依現象は、 自分の心を その良くない意味の心にして来た結果、 その周波数によって、 その世界と導通( コンタクト )したに過ぎない。

ほとんどの人が、 テレビ番組を観て、 こう感じているのかもしれない。
地獄霊に 憑依された、 と。

確かに、 形的には、 その様な表現が出来るだろう。
しかし、 実際は全く違うのだ。


憑依されたのではなく、 憑依させたのだ。


そう、 自分の心 自らが、 彼等を 引き寄せたのだ。
あたかも 磁石のように。


それゆえに、 地獄霊の心に 導通するような、 自分の心が 問題なのだ


自分の心が 地獄の心を持ったがために、 その心と 地獄の同じ周波数とが 一致して、 チューニングされて、 自分がその周波数の 地獄霊を導き入れたのだ。

それゆえに、 その地獄霊に支配されないようにするためには、 簡単な道がある。 それは、 自分の心を その様な 波動 にさせないことだ。

それ以外に、 その様な問題から、 自分を救うことは出来ない。


恨み、 怒り、 愚痴、 怠惰、 嫉妬、 誹謗、 中傷、その他 もろもろの心を汚す、 汚す行為をしないことだ。

その様な心で生きている間は、 その地獄の心に、導通( コンタクト ) することは間違いない。
それは瞬間的に、 実行可能なのだ。

それだけに、 心正しく生きることが、その道から 離れる行為であると言うことだ。


正直者は 馬鹿を見るのか?

それは見ない。 この考えは、この世的な判断で生まれた考えだ。

天上世界と通じる 自分の善( 真我 )なる心に正直な者は、 心 が美しければ、 決して 馬鹿 は見ない。
生きている形が どの様に貧しくとも、 天上世界・天国・パラダイス・天竺の道は常に存在している。


肉体を持って 生きている間の、 身分、 地位、 お金・財産の多可が、 天国への道ではない。

天国、天上界、パラダイス、天竺等々に行くためのチケットを、お金で購入することは出来ない。

あくまで、 心の問題である。


地獄霊と言えども、 かつてこの地上で生きた魂だ。
ただ 肉体があるか無いか だけの差でしかない。
同じ魂なのだ。

しかしながら、 この肉体を持っている間の、 心の在り方と実践が、 天上界の心と 似ても似つかないことをして来た結果、 あの世の光に満ちた天上界に 帰れないで居る魂達である。


だが、 神様は常に救いの道を、を投げられている。

それは、 神様にすれば、 全ての霊が 我が子だからである。

愛する魂を救いたいのは、 親であれば 誰もがそうでしょう。

その為に、 反省をするという、 この地道な行動が、 その魂を救うのだ。

心に光を灯すことが、 大切なのだ。

神様の光は、 誰にでも平等に与えられる。
望めば誰もが、 その光を与えられる。

と言うか、もうすでに その光の中で 我々は生きている。


そして信じることは、 とても大切な、 光を導く誘引剤になる。

地獄以下の場所は 存在しない。
地獄に居ても、 魂は生きていられる。

地獄だからと言って、 魂が抹殺、 抹消されることは無い。

地獄の魔王サタン (ルシュフェル) と言えど、 その地獄界に住んでいられる。 しかし 神様は 彼等を抹消することが出来る。

だが その様なことを 神様は決してなされない。

それをサタンは知らない・理解できないからである。 

その愛の心を 理解できないからである。

だから今なお 地獄界に住んでいられるのだ。

これも 神様の慈悲 である。


彼等とて、 この地上界で 住んでいた魂たちである。

かつて天上界の命令を受けて、地上界で心を乱していた人類の心を 天上界に向けさせるために、使命を受けて 地上に生まれた ルシュフェルが、その地に生まれたときに授けられた名前が、サタンであった。

しかし彼は、徐々に心を閉ざし、天上界との交信が出来ないまでに心を乱してしまったのだ。
朱は紅く染まって行く例えの通り、 悪い環境に育つと、 その影響から免れるのは難しい。
彼も、その朱に染まってしまったのだ。

彼の背中には、自由の象徴である、神から与えられた 鳥と同じ 羽が背中に持っている。
ただ人はその羽を、コウモリの羽として認識しているのだ。

邪悪な存在として認識している人類の心に、彼の白い鳥の羽は、コウモリの羽として理解されてしまっているのだ。

そしてもともとパワーがある魂なので、肉体が滅んだ後に、霊的世界で地獄界の帝王として、魔王として未だに君臨している。


地獄界とは

肉体を授けられ 生きてきた者達が この肉体の感覚で物事を判断したがために、

この肉体から感じる五感で、物事の是非を判断したがために、

心の正しい基準( 神様に通じる、自分に嘘の付けない善なる心・真我 )を忘れ、

そして自らの心を、 光を閉ざしたがために、

その様な光が届きにくい環境を、自らが形成したのが 地獄界である。


だが、 所詮、 彼らも神様の子供である。

一時の心の迷いを、 そして正しさを理解するためには必要な、 その様な環境に身を投じただけである。

魂を光に導くことで、 地獄から離れることが出来る。
この現実を、 地獄に住んでいる連中は気が付かない。

なぜなら、 その自分の環境は、 自分の磁場の形成で出来ているために、 心を苦しめた環境の磁場の中に生きているために、 その現実・自分が作っている仮想現実、 から離れられないで居るからだ。

その現実が さも当然のように魂で感じているので、 それ以外の世界があることに、理解が及ばないからだ。


そして この地上界( 肉体を持っている世界 )を見ても、 多くの人々が同じように苦しんでいるがために、 自分の心の苦しい仮想世界と 地上界とが同じに見えるがために、 反省がしにくいのだ。


だからこそ、 今肉体を持って生きている貴方達が、 愛や慈悲、 光に満ちた天上界の心で生きていくことが出来るのならば、 今 地獄界で苦しんでいる人達は、 その違い、 その差に 否応なしに心が気づき、 自らの心を見つめ直す機会を 作らせることが出来るでしょう。

それが、 仏教で言う、 供養になるのです。

物を備え、 お経を唱えることが、 供養ではありません。
正しい生き方を 見せてあげるのが、 本来の供養です。


密教的に護摩を焚いて、 結界 を張る必要もありません。 

お経を読んでいる坊主達が自己満足していても、この世から成仏していない魂達は、そのお経の言葉がチンプンカンプンで判らないので、心が理解できず、魂達の心は成仏出来ません。


ただ私達が、 光に満ちた、 愛や慈悲の心で生きていく姿を見せることが、 彼等を救う本当の道なんです。

本当の供養をすることで、 彼らも、 そして私たち自身も救われることになります。



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